「虐待的絆」に引き寄せられる

「虐待的絆」に引き寄せられる

子ども虐待のサバイバーたちが家庭を出てもなおトラウマから逃れられないのは、帰還兵たちと同様、どれほど過去を憎んでいようと、潜在的にトラウマ的な環境を求めてしまう傾向があるからです。

「発達障害の薬物療法-ASD・ADHD・複雑性PTSDへの少量処方」では、それが「虐待的絆」と表現されています。

この歪んだ愛着を虐待的絆と呼ぶ。
父親のDVなど、暴力が常在化した家庭に育った娘が、その家庭を憎み嫌い、高校を卒業と同時に家でのように家から遠く離れ、仕事につき、そこで結婚をする。
するとなぜかかつての父親のような暴力的な夫と一緒になっている。この反復が起きる理由こそ虐待的絆の存在に他ならない。
いくら忌避される記憶であっても、子どもたちにはそれこそが生きる基盤になっているからなのだ。(p34)

幼い子どもは親から虐待されても、親のもとにとどまろうとします。
もっと年長になると、自分の身を守るために異常な環境から逃れようとしますが、それでも、いつの間にか同じような環境にたどり着いてしまいます。

「身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法」 によると、1万人以上を対象にしたACE研究(Adverse Childhood Experiences:逆境的小児期体験)では、幼少期に虐待を受けたサバイバーは、その後の人生で、さらに同じようなトラウマを経験する率がとても高いことがわかっています。

研究に参加した女性は、成人してからレイプされたことがあるかどうか訊かれた。
ACE得点が0点の人では、レイプされた人は5パーセントだったのに対して、四点以上の人では33パーセントだった。
子供のときに逆境的あるいはネグレクトの犠牲になった女性は、のちの人生でなぜそれほどレイプされやすいのか。この疑問に対する答えは、レイプ以外のじつに多くの面にも密接に結びついている。
たとえば、幼少期に家庭内暴力を目撃した女性は、大人になったときに自らも暴力的な関係に巻き込まれる危険が大幅に増し、家庭内暴力を目撃した男性は、自分の伴侶を虐待する危険が7倍になることを、多くの研究が示している。(p245)

虐待のサバイバーたちが、子ども時代に受けたトラウマを再体験しやすいのは、脳に刻み込まれた虐待的絆によって、そうした状況に自ら飛び込んでいきやすいためです。

PTSDを負った兵士たちと同じく、サバイバーたちは、命の危険を感じる状況では生き生きしたエネルギーを感じられるのに、平和な日常では凍りついてしまいます。

虐待を受けた人やトラウマを負った人のあれほど多くが、真の危険に直面したときに思う存分生きているように感じ、誕生パーティや家族でのディナーのように、生か死かの二者択一よりは複雑ではあるものの客観的には安全な状況では麻痺状態になるのも、このせいだ。(p138)

サバイバーたちは、慢性的なトラウマを生き抜く中で、兵士たちと同様に、脳や身体がトラウマ的状況に適応して配線され、最適化されていきます。


異常な環境に適応した脳の配線は、手続き記憶、つまり身体の動きや反応のパターンとして現れます。

別の文化圏で生まれ育った人は、一見、うまく新天地に溶け込んでいるようでも、ちょっとした仕草や癖から異邦人だとわかってしまいます。
生まれ育った文化で学んだ身のこなしは、骨の髄まで染み込んでいます。

戦場に適応した兵士は、現代社会で生活しているときも、兵士らしい身のこなしを取ってしまうものです。
映画やフィクションでは、そうした無意識の身のこなしから正体や経歴がバレる、といったシーンがよくあります。

トラウマ環境に適応してしまったサバイバーたちも同じ問題を抱えます。
平和な現代社会に生きていようとも、トラウマのサバイバーたちは無意識のうちにトラウマ環境下の身のこなしを再現してしまいます。

「トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復」によれば、その無意識の身のこなしのパターンのせいで、トラウマのサバイバーたちは、犯罪者たちから目をつけられやすく、再被害に遭いやすいことがわかっています。

今や古典的といわれている研究だが、暴力事件で起訴された犯罪者に、ニューヨーク市内の混み合う交差点を行きかう人々のビデオを見せると、犯罪者たちは数秒以内に、狙いやすい人を割り出した

さらに犯罪者たちは同じ人を選ぶ傾向があり、それは体型や性別、人種、年齢には関係なかった。なぜ特定の人だけに狙いを定め、他の人々には見向きもしないのか、犯罪者たちには自覚はなかった。

しかし研究者たちは、いくつかの非言語的な信号を特定することができた。姿勢、歩幅、歩くペースおよびまわりへの意識の向け方などで、その人が簡単に圧倒されてしまうということがわかるのだ。

2009年のこの研究の論文で、チャック・ハストマイヤとジェイ・ディキシットは、「主な見分け方としては『相互作用的同調性』の欠如と、『一体性』を欠いている歩き方である」と論じている。(p202)

たとえサバイバーたちが口で過去の被害体験を語らずとも、無意識の手続き記憶の動作が代弁してしまっています。自分は過去に被害を受けたサバイバーであり、群れからはぐれたままの手負いの動物である、ということを。

異常な環境という非日常の中では理由もわからずに生き生きしてしまい、安心できる平和な日常ではかえって適応障害を起こしてしまう。

しかも、自分では望んでいないはずなのに、無意識のうちに危険な状況に身を晒し、犯罪者に目をつけられやすく、トラウマを再体験しやすくなる

生まれ育った文化の呪縛は、どれほどそこから逃れようとしても、そう簡単に断ち切れるものではないのです。


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「虐待的絆」に引き寄せられる