仏教と心理学から考える自我

認知行動療法(以下、CBT)は、自我同一性(社会的存在)が、確立されていることが前提となっている治療法である。

ここで、自我同一性とは、社会的存在ということになっている。

心理学上の定義

「自我同一性=社会的存在」

つまり、心理学的には、「自分=人間関係から決定されるもの」ということになっていると考えられる。

本当の自分、とか、自分探し、とかをしても、自分がわからないのはそのためだと考えられる。
自分探しセミナーとかは、いくらやっても無駄なので、やめましょう。

本当の自分があるはずだ、というアプローチが、そもそも間違っており、諸行無常・諸法非我という仏教の考え方を当てはめることで、本来の自分というものはなく、自分とは、周りの人間関係によって、課せられている、あるいは、期待されている、その関係性から、自分というものが規定される。

仏教の縁起という考え方では、原因に対して、結果がある、ということであるとすると、周りの人間関係が原因となって、結果として発生したものが、自分であり、自我になる。

諸行無常・諸法非我→本来の自分など無い
縁起→自我は人間関係が決めるもの

と考えると、わかりやすい。

心理学によって、「自我同一性=社会的存在」となっていることは、理屈が通っていると思う。

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CBTに関する補足

虐待被害者における、精神疾患に対しては、CBTはほとんど、効果を発揮しない。

虐待被害者は、自我同一性の確立が、正常にされておらず、前提となっている、自我同一性がない。

認知の歪みを修正するという、治療方法だが、これは、一部の人間関係がネガティブとなっているが、その他の人間関係はポジティブであり、正常な人間関係が成立している部分もあることが、前提となるからである。

虐待被害者は、すべての人間関係がネガティブであり、あらゆる人間関係が被害的になっている。
正常な人間関係が存在しないし、そのようなものを知らないのだから、認知の歪みに気づくことはない。

すべての人間関係が被害的であるため、その自我も破滅的となる。

虐待被害者の精神疾患に対しては、正常な人間関係を少しずつでも作ることでしか、対応できないと考えられる。
本人の努力だけでは、治療は不可能であり、むしろ、周囲のサポートでしか治療はできない。


おまけ

紹介 Azusa Nakano

中野システム研究所 所長

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