高徳ネコ先生の教え – 三業と十不善業 まとめ

三業(さんごう)

身・口・意の三つで起こす「業」(ごう)のこと(仏教用語)

  • 身業(しんごう、kāya-kamma)

    身体の上に現る総ての動作・所作のこと。
    悪業では偸盗・邪淫・殺生(ちゅうとう・じゃいん・せっしょう)など。

  • 口業(くごう、vacī-kamma)

    語業ともいう。口の作業、すなわち言語をいう。
    悪業では妄語・両舌・悪口・綺語(もうご・りょうぜつ=二枚舌・あっく・きご=飾った言葉)など。

  • 意業(いごう、mano-kamma)

    意識・心のはたらきで起こすこと。
    悪業では貪欲・瞋恚・邪見(とんよく・しんい=怒り・じゃけん=誤った見解)など。

これらは、「不善業(ふぜんごう)」といい、10個あるので「十不善業(じゅうふぜんごう)」とも言われる。

十不善業(じゅうふぜんごう)

身業の章

1.偸盗(ちゅうとう)

与えられていないものを盗ること。
例え、働いた報酬でも合法的なものでなければいけませんという、モラルの意義を表す。
盗み心がなく、自ら清潔にして住んでいる。というのが正しいということ。
道徳を犯して食べてはいけない、という意味。

2.邪淫(じゃいん)

夫婦間以外の性行為。

3.殺生(せっしょう)

他の生命をを殺したり、傷つけること。武器を持つこと。
自己防衛のためでも善くないとされる。
厳密には自己防衛のために武器を持つことさえ善くないとされている。
悪霊から自分を守るためにお守りを持つことも善くないが、出家したお坊さんでなければここまでする必要はないです。
武器は置いておきましょう。

口業の章

4.妄語(もうご)

ウソをつくこと。

5.両舌(りょうぜつ)

二枚舌。
仲間割れさせる言葉。
噂話。

6.悪口(あっく)

粗悪語(そあくご)とも言われる。
他人を苦しめ、不機嫌にさせる言葉。

7.綺語(きご)

無駄話。


これら口業をまとめて、邪語(ミッチャーワーチャー)と言う。
邪語に対して、正しい言葉を正語(サンマーワーチャー)と言う。
正語を知るためには邪語を知らなければならない。

意業の章

8.貪欲(とんよく)

欲の思考。

9.瞋恚(しんい)

我慢できないほどの怒り。

10.邪見(じゃけん)

邪見に対して、正見がある。
正見を理解するには、邪見を知らなければならない。
正見は「四聖諦(ししょうたい)」を理解すること。
八正道(はっしょうどう)は全て正見に納まる。
つまり、八正道を理解するには、
邪見を知る→正見を知る→八正道を知る
という手順を踏むことになる。

十種類の邪見

1.布施されるものはない。

いやゆる、寄付やあげるという行為は無意味という見方。
この邪見に対し、寄付することには意味があるという見方をするのが正しいということ。
人はお金に対して「私のもの」「私の財産」という執着があります。
その執着を断ち切って、布施すると与えるという現象の内側、心の中に善い変化が生まれる。
その一方で、お金に困って苦しんでいる人は、助かったと、その人の心にも善い変化が生まれる。
「寄付することには意味がある」というのが正しく、そういったものはないという見方が邪見となる。

2.献供されるものはない。

経典をあげてもらって、なにか差し上げる布施が献供(けんく)。
それが無いという見方。

3.供養されるものはない。

いわゆる法事行為などをして、お坊さんたちにご飯を食べてもらうなどの寄付をする行為が供養。
それが無いという見方。

いわゆる、寄付行為が3種類出てきましたが、そういったものには意味が無いという見方の事を言っています。

4.善行・悪行の業の果報はない。

善い行為、悪い行為には結果がないという見方。
因果法則と業のはたらきを認めない考え方。
行為に結果があることは誰もが経験する事実であり、それが無いという見方のこと。

5.この世はない。

6.あの世はない。

心というのは物質がただ形を変えただけという見方。
生命・心は物質とは違う働きを持つのに対し、
「生き方」という概念がないという見方であり、生命という存在を否定すること。

7.母はいない。

8.父はいない。

生命の誕生に母も父も必要だが、それはないという見方。
また、親孝行しても得られる結果がない、という見方。

9.化生の生けるものたちはいない。

化生有(けしょうう)というものがないという見方。
化生有とは、母・父にはなにも関係なく、また物質の合成もなく、生命が誕生すること。
地獄や天国・梵天界などの子孫を作らない生命次元では、新たな生命が突然現れる。
そのような次元で、新たな生命が親によって生まれなければならないとすると、悪行をしても地獄に堕ちないということになる。
しかし、因果関係によって悪行には悪果がある。
そういったものがないという見方。

10.この世とあの世を自らよく知り、目の当たり見て説く、正しく進み正しく実践している、沙門・バラモンは世にいない。

修行を否定する見解。
当時のインド的な言い回し。
純粋な唯物論で、心の存在を認めないこと。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください


Sponsor